Tuesday, October 25, 2011
川崎マリンエンデューロ2011 当日②
川崎マリンエンデューロの3時間車種混合第三走者として出走し、残り30分。5周回目にしてやっとこさ、向かい風区間でバラケ気味の集団に遭遇。脚を休められるかと思いきや、なんか全然速度が違う。たぶん周回遅れのグループ。縦長集団が何気に抜きにくい。
縫いながら前に出ると、いつの間にか小集団の中に。前に出たい人がいたのか、後ろから追い付かれたのか…。この中に引いてくれる人がひとりふたりいて、その人達とは最後までもがき続けたわけです。他は引く気配ないし。なんかね、悔しいから追い風では目一杯踏みましたよ。千切れてもどうせ追い付くだろうと。
でもこの5周目からが一番楽しかった。集団の中に入れたから、引いたり休んだり。オレンジ色のゼッケン見た時に、確かこれ車種混成だよなとか思ってテンションあがっちゃって、でも自分のゼッケンの色は見えないもんだからつい後ろの人に聞いて確認したりなんかして。ラストまで2人から4人でローテの人達が一緒でした。
オレンジ抜きという目標が見えてくると、残り時間もきっちり数えられるくらいの時間帯だったので、最後のボーナス周回ゲットのために残り周回を数えはじめる。と、5周目終わりのタイムからはあと3周はちょっと難しいんじゃないかと思い始めた。
いやいや、まだここからあげてきゃわからんぞと6&7周目は無理の連続。有酸素運動をとっくに通り越してるんじゃなかろうかってところで踏み続けた結果、ファイルラップの看板が出たままでラップ地点をなんとかくぐり抜けられた。吐くかと思った。
あとから聞いたら1分くらい余裕があったらしい。サイコン表示ではラスト20秒で最後のピット前180°コーナー→立ち上がりに入ったつもりだったから鬼踏みしてたのに…。よく考えたらサイコンの時計は普段から秒数なんて合わせてなかったし、スタートに合わせたりもしてなかった…。考える余裕もないってことだよね。
結果的に8周目まで回れたからよかったものの、焦るのが遅かったら1周回マイナス→順位転落→入賞なし、だったわけで。危なかった。
出涸らしでのラスト周回は、ホントはここでへたれなければ順位が上がるところ。さすがに脚も売り切れ気味で心肺的にも続かないという状態になってしまい、ローテも早めに回した。スプリント勝負が待ってる訳でもないから脚ためても意味ないけど、息が続かないんだから下がるしかない。30秒差で5位がいたんだけどなぁ。知る由もなく、残りの脚を絞りきってスプリントもどきゴール。
よくよく思い出すとトップ集団には一度も合わず仕舞いだった。タイミングが会わなかったことが一番もったいない。トップ集団との差を誰かに教えてもらうのがいいのかも。反省。それから、ローテの催促よりも協調を促すべきだったと思う。ひたちなかでこの経験が生かせるかどうか。
今日は会社では健康診断。生涯最高の身長174.4cmを記録…。体重は、65kg…。
アクティブレストだ 29km
01月 332km 11:鎖骨骨折 17:手術
02月 5km 4:三角巾終了 25:リハ開始
03月 593km 3:ジテ通再開
04月 1,005km
05月 620km 13:リハ終了
06月 561km 20:抜釘手術
07月 774km 29:通院終了
08月 1,234km 19:キャノンボールDNF
09月 906km 24:筑波山
10月 733km 24:川崎マリンエンデューロ
11月 0km
12月 0km
今年は累計 6,753km走って、
年間目標 18,000kmまで残り 11,247km